誰も愛情の取扱について知らない家族
私と父親の間にあるのは断絶で、「家族!」という関係性が大好き(あくまで好きなのは関係性であって、私個人ではない)な母親が間を取り持っている。もし母だけがいなくなったら、父と私は基本的に連絡を取り合わないのではないだろうか。
教育者はいた。出資者もいた。だけど手を繋いで抱きしめて頭を撫でてくれる人はいなかった。
私のパートナーは、母親に会うとハグをする。「母は天使のような人だよ」と言う。怒鳴られたり、手を上げられたことは一度もなかったと言う。全部信じられない。でも、だからこそ自己肯定感に問題がないんだな、と思う。
「恵まれている」という呪い
私は恵まれた環境で生まれて育った。「あなたは恵まれているわね」と数えきれないほどの他人に言われているので、そうだろうと思う。親にも言われてきた。だがその言葉に全ての反抗を封じられてきた。言われるたびに息苦しかった。
恵まれているからこそ羨まれ、結果を期待される。
結果を出せば「環境に恵まれたからだね」と言われ、
結果が出せなければ「恵まれた環境にいるのにね」と失望される。
恵まれない環境にいることは、辛いことだろう。だけれど私は「分かりやすく理解してもらえていいな」と思ってしまう。
もちろんそんなことは口に出して言えない。「ありがとうございます、結果を出せたのは環境のお陰です」「申し訳ありません、今回は結果が出せませんでしたが次は頑張ります」以外のことは口に出せない。
それらが今の自分の自己評価の低さと、理解の渇望に繋がっているのだと思う。
一緒に過ごしたい人は誰ですか?
あなたが一緒に人生を過ごしたい人は誰か、と聞かれたら、家族とか、恋人とか、そう言った大切だと思っている人を挙げるでしょう。
- 親
- 兄弟姉妹
- パートナー
- 子
- 孫
親子という選べない関係性
子供を抱いてみるか訊かれることについて
名前のこと
友人が日記を書いている。彼は昔、物書きを目指していたことがあり、文章はとても綺麗だしハイペースで長文の日記を書くので、時々覗いては大量の未読分の日記を読む。彼のデザインは美しいので、無性にそれが見たくなって訪れる。訪れた。
表向きは謙虚だけれど、その内に誰よりも熱い闘志を秘めている彼は、持ち前の高いプライドに見合うだけの努力家で、そこそこの有名人になりつつある模様。
彼がネット上で使っている名前はわたしが昔あげたものだ。もう、彼とわたししか覚えていないだろう。目を合わせずに一人で笑った。